映画「ルーム」観ました
原題:ROOM
製作:アイルランド・カナダ’2015 118分
監督:レニー・アブラハムソン
原作:エマ・ドナヒュー
ジャンル:★サスペンス/ドラマ
【あらすじ】5歳の誕生日を迎えたジャックは、狭い部屋に母親と2人で暮らしていた。天窓から見える空を眺め、不自由な暮らしではあったが大好きな母親といつも一緒だ。彼にとって部屋の中が世界の全てだったが…。
小さな部屋で暮らす仲良し親子の様子は微笑ましく、まさかこんな流れになるとは思いませんでした。貧しい家庭なのかと思っていたら食べ物など必要なものは外から届けられているようで、戦時中なのかはたまたSF作品なのかと序盤からミステリアスで引き込まれます。
それからどんどん嫌な予感がしてきて、これから彼らがどうなってしまうのか文字通り目が離せませんでした。
前半は5歳の少年ジャックの目から見た世界が描かれていて、薄暗い小さな部屋と小さな天窓、そして見慣れた家具とテレビなど、大好きなママと二人だけの世界が広がっています。テレビで見るようなものが手に入らなくて癇癪を起すことはあるけど、不幸かというとそうでもないんですよね。
ママは一緒に遊んでくれるし、犬を飼いたいという夢も持っている。家具に挨拶をして、テレビアニメの真似をして髪を伸ばすなど、とても子供らしい姿を見せてくれます。
一方、優しい母親としてジャックと接していても、常にどこか思いつめたような目をしていてやつれ気味のジョイ。中盤にかけて彼女が何を抱えていたのかがわかり、彼女がいかに精神力を削られてきたのか、そしてジャックによってどれだけ救われてきたのかが伝わってきました。序盤からの彼らの生活の印象がガラリと変わった瞬間です。以下ネタばれあり!
ジャックが生まれるまで、あの部屋で彼女はただの”もの”だったんですよね…。騙されて捕まって、すべてを奪われて犯人の所有物になってしまった。
それが、ジャックの存在によって”もの”から”母親”になって人間に戻れたわけです。さらに、ジャックを守り抜くという決意と、いつかジャックだけでも逃がそうという目標が生まれ、同時に生きる希望を得られたんだと思います。
だからこそ、中盤になって脱出のためジャックを危険にさらさなければならない彼女の心情を思うと…。外の世界を知らない5歳になったばかりの息子を、自分のすべてである息子を犯人と一緒に送り出すなんて辛いなんてものじゃなかったはず。「ママなんて嫌いだ」と泣きながらミッションの練習をするジャックに、心を鬼にして何度も練習させるジョイの様子に胸がつぶれそうな思いがしました。
そして、ジャックの初めてのお出かけ。トラックの荷台で怯えながらも、初めての空に目を奪われるシーンが印象的です。ママの言いつけを守れず、3回目にしてやっとジャンプできた彼がなんとか絞り出した「ヘルプ!」の声。通りがかりのおじさんが気付いてくれてよかった…!
何と言っても幸運だったのは優秀な警官に保護されたことですよね。運転席のおじさん警官だけだったら絶対に気付けなかったと思います。人生最大のミッションをやり終え脱力しきったジャックとの事情聴取シーンでは、思わず「伝われ、伝われ!」と念じてしまいました。
おそらく生まれて初めて何時間も母親と離れていたジャックが、夜になってやっと”部屋”が見つかり母親と再会するくだりは涙腺にきました。7年の監禁生活が終わって、やっと家族の元に戻れることになったジョイと、今までの世界が全て崩壊して新しい世界に踏み出さなければならなくなったジャック。映画としてはここまでで半分くらいで、救出後のことが描かれているのがこの作品の特徴でしょう。
監禁され犯人の子供を産んだ女性と、犯罪者の血を引く息子…世間の目が彼らを傷つけるのは目に見えています。ジョイの両親も例外ではなく、最愛の娘が帰ってきて嬉しいはずなのに、孫の顔を直視できず娘ともまともに向き合えない父親の姿は、もし同じ立場ならと考えると責められなかったです。
戸惑いながらも娘に寄り添う母親と、当事者ではないからこそジャックと自然体で接せられる再婚相手や近所の子供がいたことが救いでした。
ここでは描かれなかったけれど(テレビ版でカットされた可能性もあり)、ジョイがスマホを息子に見せないでと切れていたので、きっとマスコミやSNSなどで酷いことを書かれたり、いたずら電話などもあったのだと思います。やっと解放されて元に戻れると思っていたのに、両親は離婚し、父親には距離を置かれ、心無い人々の誹謗中傷や好奇の目にさらされることになった…。
とくに母親であるということはジョイにとってアイデンティティそのものであり、母親になることで生まれ変わった(蘇った)と言っても過言ではありません。そんな彼女にとって、母親失格の烙印を押されるということは生きる資格がないと言われているのも同然です。よりどころを失い、魂をずたずたに引き裂かれたジョイがああなってしまうのも仕方ないと思えました。(少し唐突に感じたけども)
そもそも犯人が赤ん坊を取り上げなかったのは、息子を守るためにジョイが抜け殻ではなく従順になったとか、DNA鑑定により足がつくリスクを恐れたとか、いちおう自分の血を引いているからとかそんな理由からでしょう。
何はともあれ、生殺与奪を握る犯人が気まぐれで見逃しているんです。犯人にとっては所有物に過ぎない自分が何か意見して、わざわざ状況を変えるようなことをできるでしょうか。犯人が子供を取り上げようとしたなら必死に「誰かに育ててもらえるところへ」と頼むと思いますが、そうでないなら命よりも大切な赤ん坊を、一欠けらも信用できない相手に預けるなんて私なら絶対にしません。
もし犯人が了承したとしても、自分の目で息子が無事保護されるところを見届けることはできないし、犯人にとっては自分と行方不明者を繋ぐ手掛かりである赤ん坊を、わざわざ届けに行くメリットはありません。殺して処分する以外の選択があるんでしょうか?
マスコミの心無いインタビューのくだりは本当に腹が立って殴り飛ばしたくなりました。精神的なケアがまだ必要な時期に(薬を持っていたので通院していたはず)あんな無神経なことを言うなんて信じられないです。実際に、この作品の原作に影響を与えたフリッツル事件(wikipediaにリンク)では、パパラッチが自宅に侵入する事件があったようで、マスコミは被害者やその家族・知人に接触してはいけない法律を作った方がいいと思いました。
それでも見終わる頃には心穏やかになれたのは、やはりジャックのおかげですね。まさか序盤の”髪にパワーが宿る”というエピソードがここで生きてくるとは。ジャックのまっすぐな愛情と、少しずつ広い世界に歩み出していく様子に、少しずつ良くなっていくと希望を持てました。
彼にとってのすべてだったあの部屋とのお別れも印象的で、変わり果てた部屋で「縮んだの?」と狭さに驚いたり、思い出のこもった家具たちにひとつずつ触れてお別れを言っていく姿にはしんみりしました。
彼らへの悪意がなくなったわけではないだろうけど、きっと大丈夫だと信じたいです。