原題:기생충 製作:2019’韓国 132分 監督:ポン・ジュノ ★ドラマ/コメディ
【あらすじ】半地下住宅で暮らす貧しい四人一家。大学受験に落ち続けていた長男ギウは、大学生の友人から家庭教師のバイトを紹介される。パク氏の豪邸で娘に英語を教えることになった彼は、なんとか失業中の家族をこの家で働けるように計画を立て…。
久しぶりに映画を見ようと思って、録画してあったこの作品を見てみました。 かなり面白かったですね。「この家族、どこのプロですか?」という感じで、見る間に裕福なパク家に寄生していきます。ギウなんて冴えない雰囲気だったのに、母親が見る前で家庭教師の授業をやって見せた時の大胆さ…全部狙ってやってるところがすごいです。 そんな感じでビンボー一家が大変身してエリート家庭教師&運転手&家政婦みたいになるところは面白いし、後半打って変わってスリリングな展開になってからも目が離せないものがありました。 ただ、パク家の子供があまりにも可哀そうなんですよね…。
この作品のテーマが格差なので、最後の事件が必要なのはわかるんですよ。好きで半地下なんかに暮らしてるわけじゃないのに、自分では気付かなかった”臭い”が決定的に住む世界の違いを見せつけてしまう。たとえ顔をしかめられたのが娘の仇である男でも、地下と半地下の共通点から自分を重ねて、わだかまりが一瞬で憎悪まで膨らんでしまったんでしょうね。殴るくらいでもよかった気はするけど、あの狂気に当てられた状況では仕方ないと思えました。
でも、それならあんな小さい子供のいる家庭にしなくてもよかったと思うんですよ。そもそも、ダソン周りの描写が中途半端で作品にとって都合よく使われてるんですよね。家庭教師に懐柔される肝心の描写はないし、奥様の信頼をガッツリ得たのはダソンのトラウマに起因してます。でも、臭いという共通点に気付いて親に取り合ってもらえなかった時や、モールス信号に気付いた時のダソンの心情は描かれないし何も行動しないという…。 トラウマを伏線にして後半のサスペンスに繋げるため、幼い子供でなければいけなかったというだけなんじゃないかと疑ってしまいます。
事件後、おそらく精神が不安定になるであろう母親(一家を引き入れた張本人)と、男性不信に陥りそうな姉(あの身長差を背負って助けようとしたのにね…)、さらにトラウマを深めた幼い子供が、あの後どうやって生きていくのか…(たぶん母の実家は裕福だろうからおじいちゃんおばあちゃんが見てくれるとは思うけど)。 前半はコメディだったから荒唐無稽な部分も許せたけど、こういう結末になるなら「せめて家族はパク家とは別の家にもぐりこませればよかったのに」と思ったし、「パク家が一家で出かけてるからって宴会するような詰めの甘い奴らだから貧乏から抜け出せなかったのでは…」という疑問も浮かんでしまいました。 面白かったし観られたのはよかったけど、再見はないかもなぁという感じです。
<おまけ> ・ミニョクが言ってた「奥様はシンプルで好き」って、単純で扱いやすいから好きってこと? ・臭いを指摘されてからクリーニングとか引っ越すとかできなかったのだろうか。収入がどれくらいで、這い上がるにはどれくらい必要なのかわからなかった。 ・トラウマシーンの階段を上がってきた男の目が怖すぎてホラー(好き)。 ・地下シェルターから階段の電気を操作できるのは、男が勝手に改造したの?修理業者を呼んでたらこんなことには…。 ・貧民街?と高級住宅の対比が素晴らしい。洪水シーンもすごい。 ・インディアンごっこをするくだりで「一線を越えるな、仕事の延長と思え」と上から目線のパク氏。そもそも断らない前提で話を進めたことに気付いてない=使用人に都合があるなんて考えも及ばない(ついでに貧民街の洪水なんて知らんor興味ない)。これがなければ憎悪爆発はなかったかも。 ・(2021/10/01:追記) 奥様が言ってた「子供が引き付け(痙攣)を起こしたら15分以内に処置しないとだめなのよ」は現実でも”15分以上続くようなら速やかな対処が必要”なので大袈裟ではなくて(長引くと発熱によって脳に影響が出る可能性がある)、事件時「キーを渡せ」と言われて娘の一大事であっても渡した(自分の車じゃないし)のは親として子供のことで必死になる姿に共感したからだと思う。その直後に”臭い”の件で憎悪爆発するから余計にインパクトがあったんだなぁと後から気付きました。
関連記事 映画「殺人の追憶」 原題:ABOUT A BOY 製作:アメリカ’02 100分 監督:クリス・ワイツ 、ポール・ワイツ 原作:ニック・ホーンビィ ジャンル:★ドラマ/コメディ
【あらすじ】ノース・ロンドン。亡き父がクリスマス・ソングで一発当て、お気楽な印税生活を送る38歳独身のウィル。後腐れないシングルマザーとの恋愛に嵌った彼は、デート相手が連れてきた友人の息子マーカスと出会う。彼らは少年の母親フィオナの自殺未遂現場に居合わせ、それがきっかけでマーカスはウィルのアパートに入り浸るようになり…。
大昔に見て★を付けてたので再見。ヒュー・グラントが空っぽ男を見事に演じていてよかったです。 初見時はたぶん気付いてなかったけど、タイトルの”少年”はマーカスだけでなく大人になりきれてないウィルのことも指していたのか~。二人の”少年”が出会って時間を共有し、少しずつ相手の存在が自分の生活の一部になっていくのが見ていて心地よかったです。 一人で気楽に生きるために誰にも必要とされない人間であろうとし、同時に自分には何もできないと感じていたウィル。でも、そんな彼の何気ない言動がマーカスの気持ちを軽くしていたというエピソードが印象的でした。自分にとってはほんの小さなことでも、相手にとってはそうじゃないこともあります。
最初はカモを殺してしまった時、学校では友達に見捨てられ頼れる味方なんていないと思っていたマーカスを、ウィルは警官から庇います。それはデート相手の手前だったからかもしれないけど、マーカスにとっては思いがけないことだったし、とても嬉しくて安心できる出来事でした。 そして二回目は母親が自殺しないか不安だと打ち明けるマーカスに、「くそっ(なんてこった!)」としか言えなかったエピソード。ウィルは自分には子供の相談に乗るなんて無理なんだというような軽い自己嫌悪を感じていましたが、マーカスの方は正反対で”救われた、不安が消えた”とウィルへの友情と信頼を深めています。母親と自分二人だけではダメだと痛感していた彼にとって、ウィルが感情のままに漏らしたその一言で”もう二人きりではない”と実感できたのでしょう。
また、ウィルの方もマーカスと過ごした時間が増えるにつれて変わっていきます。 最初の方の、会話もなく同じソファでテレビを見ているだけで二人の距離感が変わってくるくだりがいいんですよね。ウィルの心の壁がじわじわ、じわじわと浸食されて、最後には一緒にいても気にならない関係になっていく感じが。 二人の間で起きた出来事は片手で数えられる程度のものだし、どれも映画としてはそう大きな出来事ではありません。でも小さな出来事の積み重ねで着実に二人の絆は深まっているし、ウィルが人生初の本気の恋に破れた時、何もない空っぽな自分の中でマーカスだけは意味のある大切なものだったと気付く展開に説得力がありました。
最後”社会的自殺”をかまそうとするマーカス少年を助けに駆け付けたウィル。おそらく子供時代に父親のクリスマスソングを人前で歌ってトラウマに近いものを抱えていたんでしょう。それでも舞台の上に、マーカスの横に立つことを決意するところにはホロリ。 なんだかんだでラストはアメリカ映画的でしたが、マーカスがウィルの恋を応援するところは、結婚してウィルの家に入り浸れなくなっても大丈夫だから安心しなよ、という少年の成長が伝わってきて感慨深い気持ちになりました。…最初から常に”ウィルよりマーカスの方が大人だった”というのがこの作品らしいです(笑)
書き忘れ追記(2020/04/02) 社会的自殺を止めに車で向かっている時の”「表現するのは止められないわ」「彼が表現しようとしてるのは君だ!」”のやりとりが印象的でした(忘れてたのに)。マーカスの母親と衝突するのは2回目なんだけども、1度目はマーカスが信頼する友人を得たんだと知って彼女は安心し、この2度目では自分が間違えた時に指摘してくれる相手がいると知って、やっと彼女は”心の余裕”を取り戻せたんだと思います。 ウィルを選んだマーカスの眼に狂いはなかった!
原題:THE CHILD IN TIME 製作:イギリス’2017 84分 監督:ジュリアン・ファリノ 原作:イアン・マキューアン ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】児童文学の作家であるスティーヴは、スーパーマーケットで幼い娘ケイトを見失った。娘の失踪により妻ジュリーとの関係も悪化し、彼は罪悪感に苦しみながらもケイトを探すことに没頭していく。3年後、深い悲しみを抱きながらも教育委員会の仕事と執筆でなんとか毎日を過ごす彼だったが…。
娘を誘拐された主人公スティーヴを、カンバーバッチさんが演じていてとても良かったです。どこにでもいる普通の父親であり夫である主人公の心情を、繊細な演技で見せてくれました。 こんなことがあれば夫婦の間はぎくしゃくするし、お酒に頼りがちになるのも仕方ないことなんだけど、それでも希望を捨てずに前を見る夫婦の姿に涙が…。「あの子がまだどこかで生きていると思う?」と奥さんに聞かれて「いなくなればわかるはずだから…」というような言葉を返し「そうね」と納得する。一緒にいるとどうしても”あの子だけがいない”という現実が突き刺さってしまうけど、想いは同じなんですよね。
だから心までは離れないよう、お互いのことがわかる距離感でいようとする二人がいじらしい。音楽を教えている奥さんが、旦那にピアノをやってみないかと誘ってみたり。練習した成果を録音して送り、彼女を驚かせてやろうと練習を頑張る姿に”癒し”の兆しが見えます。 きっと”時間が癒してくれる”という言葉は、ただ時間が過ぎればということではないんでしょうね。積み重ねる毎日の出来事がなければ、ただの空っぽの時間では癒しも何もない…。
言葉よりもシーンと演技で伝えてくる作品で、静かながら映画の醍醐味を味わえました。 とくに印象に残ったのが、奥さんが暮らしている田舎のパブで、窓越しに女性と目が合うシーンです。言葉はなくても、この二人の間に何か通じ合うものがあったんだと伝わってきます。そして、その後に別の場所で同じように窓越しに目が合うシーンがあって、なんらかの転機を予感させるんですよね。
ふとした瞬間に聞こえてくる、見える娘の幻覚。見知らぬ少年。 解決したわけではないし希望の根拠なんてものはないけど、二人が娘のためにできる”帰ってくるまで、変わらずあの子の親であり続けること”はきっとこの二人にならできるのだろうと思えました。 主人公の友人のエピソードについてはいまいちよくわからなかったけど、心に残る作品で見られてよかったです。
原題:WONDER 製作:アメリカ’2017 113分 監督:スティーヴン・チョボスキー 原作:R・J・パラシオ ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】顔に障害を抱え、27回も手術を受けた10歳の少年オギー。外に出たがらず、ずっと自宅学習を続けてきたが、母イザベルと父ネートは、5年生の新学期から彼を学校に通わせることを決意する。しかし、遠巻きにひそひそ話をする者や嫌がらせをする者ばかりで、オギーは孤立してしまい…。
録画したら映画タイトルとともに感動作!と書かれていて若干身構えてしまったんだけど、とても良い作品でした。「相手のことを知るには、よく見て一緒に過ごすのが一番」ということを伝えるために、誰が見ても大事な部分は同じように受け取れるよう分かりやすく描写されています。 具体的には、主人公のジェイコブの身近な人々(子供)の視点に切り替わるところですね。寂しそうにしていたり意地悪した子供たちが、その時何をどう感じていたのか大部分をセリフ(モノローグ)で説明してしまいます。
セリフで説明するのは映画としては下手なやり方とされがちだけど、この作品の場合は別の人視点の時には映像や演技から色々読み取れるのでセリフは解答編みたいな感じ。「受け取り方は人それぞれ」ではダメな部分だけをあえてセリフで伝えているので、映画的な面白さを損なうことなくメッセージを伝えられていたと思います。 あと、切替のタイミングが絶妙なんですよね。登場人物がすれ違いでケンカなどを始めると、視聴者は「どうしてあんなことを…」とか「ああすればいいのに」とやきもきしたりするじゃないですか。そうなったところで視点が切り替わるので、今度はその子の気持ちになって状況を見られます。そうすると、どうしてあんなことをしたのか、なぜああできなかったのかがわかってくる。「相手に気持ちになって考える」を映画で練習できます。 児童文学が原作みたいだし、同じ目線で優しく諭すような作品でした。
もちろん映画的な面白さも優れていて、オギーに希望と勇気を与えるイメージの描写がとっても可愛い! 周りの目が気になってうつむいてしまった時、自分でもここにチューバッカ(byスターウォーズ)がいたらじろじろ見るだろうと考えて、その様子を思い浮かべるんですよね。校内に溶け込むチューバッカがいいなぁ。 あと宇宙飛行士にあこがれているオギーは子供用の宇宙飛行士コスチュームを持っていて、楽しいことを想像したり嬉しくて仕方がない時は決まって宇宙服に身を包んでいます。小さな宇宙飛行士が全身を使って喜びを表現してるシーンに、見てるこっちまで嬉しくなってしまいました。
また、ドラマ部分で引き込まれたのはオギーのお姉ちゃんのエピソードですね。弟は大好きだけど、弟中心でまわっている家庭内でいつも寂しい想いをしています。彼女と話していてもオギーに何かあれば両親はそっちに行ってしまい、3人だけで家族の絆を深めている…。それを複雑な表情で見た後、静かに自分の部屋に消える姿が切なすぎて涙が。一番感情移入できたのが彼女で、泣かされたのも彼女のエピソードでした。 とくに亡き祖母との海辺でのエピソードが印象的。彼女が寂しい想いをしてると気付き、世界で一番愛しているし、いつも味方だと言って肩を寄せ合う姿に涙が。 色々な気付きを与えてくれる作品でした。
読み:しんじゅのみみかざりのしょうじょ 原題:GIRL WITH A PEARL EARRING 製作:イギリス/ルクセンブルク’03 100分 監督:ピーター・ウェーバー 原作:トレイシー・シュヴァリエ ジャンル:ドラマ/歴史劇/ロマンス
【あらすじ】 1665年のオランダ、デルフト。タイル職人の父が事故で失明したことから一家の家計を支えることになった少女グリート。画家ヨハネス・フェルメールの家の女中となるも、やがてフェルメールの目に留まり絵の具の調合の手伝いや絵のモデルをするようになり…。
更新が滞ってますが、原因はレコーダーを繋いでるテレビがゲームで占領されてるからです(汗) 日中に見ればいいんでしょうけど、日中の空いてる時間は別の趣味に使いたいから…。あと一週間くらいで課金期間が終わるらしいので、そしたら毎晩エアロバイクを漕ぎながら録画を消化しまくりたいと思います!
で、あんまり更新しないのも何なので、長年心に引っかかってる作品について書いてみようかと。 実はこの作品、私の二度と観たくない作品トップ に輝く作品なんですよね~。視線恐怖症気味の人には地獄のような2時間を味わえる作品だと思うんですが、そういう感想を見かけないので不思議。フェルメールがモデルをねっとり見つめるシーンが生理的に無理すぎて、蛇に睨まれた蛙状態で冷や汗浮かべながら最後まで見た記憶があります。
それでも、絵画に描かれていた自然光による美しい描写の再現は素晴らしかったです。ただ、ストーリーは、モデルという体験を通して初心な少女が女になっていく過程を描いただけ、という印象。 あとは女中(貧しい家の娘)の立場の低さも描かれていたと思います。気を抜けば男の餌食になりかねないし、それで妊娠でもしようものなら”貧しいながらも普通の暮らし”すら送れなくなるかもしれない。
それで私が引っかかっていたのは『フェルメールは彼女に手を出したのか?』という点です(笑) 他の人の感想を読んだら「彼に欲情したけど手を出してもらえなかったので肉屋の息子で発散した」という解釈しか見当たらなくて「あれ?」と思ったんですよ。 私はてっきり彼は手を出していて、だから主人公は彼が妻に逆らえないと思い知った時に、以前聞いた「絵のモデルをやっていた娘が身ごもって棄てられた」話を思い出し、このままだと自分も同じ同じ運命かもしれないと怖くなって肉屋の息子を誘惑したのかと…。
なのでラストシーン(大きなおなかを抱えて椅子に座ってる?)は、子供の親がフェルメールか夫かわからず、その秘密を一生抱えていくのか…という後ろ暗い気持ちが表れた薄暗いシーンだったと思うんですよ。 15年以上前に一度見たキリなので記憶違いがあるかもしれないけど、再見はできそうもないので「そこは違うよ」という点があればコメントで教えて下さい。 あと、皆さんの解釈も教えていただけると嬉しいです!
原題:PATERSON 製作:アメリカ’2016 118分 監督:ジム・ジャームッシュ ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】ニュージャージー州パターソン。バス運転手パターソンは、愛する妻ローラの隣で毎日変わり映えしない毎日を送っていた。仕事をして妻の愛犬マーヴィンの散歩をし、バーでのたわいない会話を楽しみ、妻の隣で眠りにつく。そんな日常の中で、彼は詩を紡ぎだしてはノートにしたため…。
これは妙に沁みました。前半どころか3/4くらいは結構眠かったんですけど、眠くても興味は途絶えなかったのが眠いだけの映画とは違います。 この作品の良さを言葉にするのは難しいので、どんな人に見てもらいたいかを考えてみました。 日常の些細なことを大事にしたい人、それらを詩や音楽、絵などで表現することを素晴らしいと思う人、誰かの思いやりに触れて荒んだ心を癒したい人あたりにおススメしたいです。 あと永瀬正敏さんが終盤に出てるので彼のファンにも。…めっちゃ良い役だよ!
眠いながら興味が途切れなかったのは、主人公と奥さんがアンバランスに見えたからだと思います。 奥さんは行動力があって、他人が見たら「そんな夢みたいなことばっかり!」ということでも割とガンガンやっていく方です。たぶん犬を飼いたいと言ったのも奥さんなんですよね(でも散歩は当然のごとく旦那に任せる)。 で、旦那は気弱な方だし奥さんのことを愛してる&信じてるので、経済的にちょっと厳しそうでも一切文句は言わない。確かに奥さんはセンスがあるのでデザイン関係の仕事でバリバリやっていけそうですが、夫のそういった我慢を見逃しているようで心配になってしまいました。
でも、とてもショックな出来事があった時、それを見逃さずに寄り添ってくれる奥さんだったんですよ。自分のことを理解してくれているという主人公の言葉は本当だったんだとホッとして、その流れでしみじみとした終盤の感動に繋がりました。 ほんの些細な出来事なのに、これからも詩を書きなさいと世界が背中を押してくれているような、一瞬で目の前が拓けるような印象。これまでのありふれた日常が、彼の小さな世界の中で出会った人々とのやりとりのすべてが彼の詩の源であり、これからもそうなのだと…だからこそ世界は、人生は素晴らしいと言っているかのようでした。
見終わってみると、わんこや愚痴っぽいバスの運転手仲間、酒場に集まる顔なじみたち、吉兆の象徴?な双子たちに、詩作がつないだいくつかの出会いなど、それまでぼんやり見ていた彼の日常が不思議と懐かしく感じる作品です。
関連記事 ブロークン・フラワーズ 読み:ぼぶというなのねこしあわせのはいたっち 原題:A STREET CAT NAMED BOB 制作:イギリス’2016 103分 監督:ロジャー・スポティスウッド 原作:ジェームズ・ボーエン ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】ロンドン。ミュージシャンを目指すも、夢破れてホームレスとなり薬物依存からも抜け出せない青年ジェームズ。ある日、茶トラの野良猫が怪我をしているのを放っておけず、彼のひと月分の食費を治療費に当てる。野良猫はボブと名付けられ、ジェームズの肩に乗ってどこへでもついていくようになり…。
ボブにゃんが可愛すぎる…! ハイタッチするにゃんこが、薬物依存の青年ジェームズの心の支えとなる実話。おばちゃんからもらったマフラーをつけてる姿も本当に可愛かったです。 驚きなのが、ボブにゃんを演じてるにゃんこが、ほとんどご本人(にゃん)だということ。にゃんこなら誰でもいいということじゃないのだ!!
実話ものと言うことで安心して見られたし、冷たい人もいれば、弱い人も描かれるのがリアル。 主演の方もボブにゃんと仲良しそうで良かったです。 考えさせられるのが、どん底にいる人を非難したり遠ざけようとしても事態は好転しないということ。自分の責任でしょと弱さを責めても解決しないし、ジャンキーが増えて治安悪化に繋がるだけ。
運よく這い上がれたジェームズさんが、ホームレスの自立支援活動や動物愛護の活動を行っているということに意義がある。小さな優しさが良い循環を生み出していくんですよね。 吹替え版でところどころ聞き取れなかったので、字幕版でいつか再見したいです。
読み:たいようはひかりかがやく 原題:THE SUN SHINES BRIGHT 製作:アメリカ’53 90分 監督:ジョン・フォード 原作:アーヴィン・S・コッブ ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】南北戦争から40年。未だそのしこりの残るケンタッキーの田舎町で、老判事プリーストは再選のために日々アピールを行っていた。ある日、知り合いの黒人の甥っ子に近郊の砂糖きび畑を紹介するが、少年はそこで起きた白人少女暴行の犯人にされてしまい…。
あ~、これは心に染みますね。見終わってウルウルしてしまいました。 最初は老判事プリーストさんがのんべぇで懐古主義(嫌な感じではない)で仕方がないおじいちゃんだなぁと思ってたら、後半にはもう「情婦 」の老弁護士さんのように印象が変わってました。信念を曲げない強い人なんですよ。
それがハッキリわかるのが、黒人少年が町の人達にリンチされそうになった事件。判事にとっては再選のために一票でも票が欲しい時期にもかかわらず、怒り狂う町人たちを敵に回しても少年を信じます。毅然とした態度で話し合いから始め、最後には扇動者に対して『撃ち合いになればお前を必ず撃つ』と言い放ちます。これがもう格好よくって! 正直、町の奥様方に売り込む時の口の上手さとか見た時は、いい加減な奴っぽいなぁと思ってたので、そんな風に思ってごめんなさい!
他にも、自分が本当に正しいと思うことなら敬愛する将軍の意に反することもするし、町の嫌われ者である娼婦たちに対しても他と変わらぬ態度で接し、赤の他人である少女の将来を父親のように心配してます。まさに清廉潔白な人なので、のんべえで召使に子供みたいなわがままを言うなどの欠点がないとバランスが取れないよなぁと妙に納得。
ある一人の女性の尊厳を守るため、そして彼女を大切に想う人たちの想いを無碍にしないために、葬列に加わる終盤は感動でした。彼の行動に他の人たちも行動を起こし、ついには外聞を気にしていた将軍も葬儀には駆けつけてくれて。結果的に判事の行動が、娘のように思っていた少女の未来を明るいものにするんですよね。 現代なら上手くいきすぎな話かもしれませんが、それもすんなり受け入れられてしまうのは、この時代の作品が持つ大らかさのせいでしょうか。
ラストは改選後のお祝いに町の人たちがパレードを行い、そこには「判事はUS(黒人少年の名)を俺たちから守った」というプレートを持って参列する町人たちの姿も。向かいの家から将軍がサーベルを顔の前に持って敬礼?したり。判事が感無量といった雰囲気で涙ぐんでいるのが印象に残りました。 でも、ラストで部屋に戻っていく後姿が若干燃え尽きた感があるというか…。そのままぽっくりいかないか心配になったり(汗) 古き良き時代の名作だったと思います。
関連記事 「駅馬車(1939)」観ました 原題:LES CHORISTES 製作:フランス’04 97分 監督:クリストフ・バラティエ ジャンル:★ドラマ/音楽
【あらすじ】1949年、フランスの片田舎にある寄宿舎「池の底」では、親をなくした子どもや素行に問題ある子どもたちが暮らしていた。新たに赴任してきたマチューは、子どもたちの心を開くため合唱団の結成を決意する。やがて、学校一の問題児ピエール・モランジュが素晴らしい歌声の持ち主だとわかり…。
これいいですよね~。手が付けられない悪ガキと言われていた子供たちが、合唱によって心が一つになっていく様子が見事に描かれています。その過程の見せ方が上手く、省略するところは省略しつつ時間の流れは自然に感じられるようになっていて、上達してくのに説得力があるんですよね。たった97分の作品に、彼らとマチュー先生の過ごした時間がぎゅうッと詰め込まれています。(譜面台役の子はあれで満足してたのかな…?)
とくに天使の歌声と称されるピエール君のソロ! もちろん全員での合唱も素晴らしいんですが、彼が歌いだすと時間が止まってしまいそうな、「フランダースの犬」のラストみたいに天使が降りてきそうな(笑)感じがするんですよ。 マチューにとって彼は夢を叶えるチャンスをくれた天使であり、そして彼をあるべき場所に導くことが自分に与えられた使命のように感じているようでした。
印象的なのが、初めて人前で歌ったエピソード。母親のことで喧嘩して「君がいなくても合唱はできるんだよ」とソロパートをなくしてしまうんだけど、本番になって突然ソロパート復活! 歌う喜びを歌声と表情で目いっぱい表現するピエールは、きっと自分にとって”歌うこと”がどれだけ大事なのか、自分のすべきことが何なのかわかったでしょう。 この少年は実際にサン・マルク少年少女合唱団でソリストを務めるほどの実力者で、他の役者さんに勝るとも劣らない表現力でした。
また、中には心を開けないまま別れてしまった生徒もいてリアリティありました。その遺恨が何か悪いことを引き起こすのでは…と不安も感じさせつつ、決して後味が悪くなるような展開にはせずに決着をつける(彼にとっては何も終わってないけど)ところが素晴らしい。 出かけている時を狙ったのは、やりやすかったからという理由だけでなく、元クラスメイトやマチューを憎んでいたわけじゃないからだと信じたいです。もし濡れ衣騒動がなかったら、一緒に歌っていたかもしれないよね…。 遠くから寄宿舎を眺める彼の目に、満足感だけでなく寂しさも見えるような気がしました。
ラストは思わずニッコリ。可愛いペピノがずっと待っていたものはこれだったのか! 一度決めたらテコでも動かない、曲げない子なんですが、本当に賢明な子なんだなぁと。バスが止まった時の笑顔が可愛かったです。 現在だったら警察沙汰になりそうだし、校長が警察に届け出たらヤバかったと思うけど、あの二人ならきっと幸せな未来が待ってると思えました(冒頭でもわかりますが)。 再見できてよかったです。
<2018/11/22 追記> なんとなく久しぶりに「プチ・ニコラ」を再見したら、なんとマチュー先生が出てました! 現実ではこの作品の5年後、舞台設定的には20年後ですね(そうは見えないから完全に同じマチュー先生というわけではないのかもしれないけど) 嬉しくて思わず写真を撮ったので、気になる方は「プチ・ニコラ 」の記事へどうぞ。
製作:日本’80 114分 監督:野村芳太郎 原作:三木卓 ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】5歳の娘・昌子が風邪のような症状が出るとともに、奇妙な行動をとるようになった。歩く様子もおかしくなり、心配になった昭と邦江は病院へ連れて行く。最初は大したことはないと言われるが、娘が破傷風に感染していると発覚。やがて二人は破傷風がどういうものか目の当たりにし…。
ついに見てしまいました。これは最後まで目が離せませんね…。 子供が発作を起こして叫ぶ声が辛くて、それを間近で見守り続けた両親の辛さも想像せずにはいられませんでした。 もちろん一番つらいのは幼い娘さんで、最初の「できるけどやりたくない」と辛さを堪えて両親を心配させまいとする姿を思い出して涙が…。 母親が「こんなことなら…!」と錯乱する姿もショッキングで、でもそれほどまでに精神的にギリギリだというのも伝わってきます。比較的耐えていた父親もやがては自分も感染したのではと怯えたり、苦しむ娘を助けられない悪夢にうなされたり…。
常に冷静に、周りを心配させないように医師としての役割を果たしていた女医さんも印象的で、医者というものの責任の重さについて考えさせられました。彼女とは正反対な医師も描かれていて「ご両親がちゃんと見てあげてくれなきゃ」と崖っぷちにいる父親に冷淡な言葉を掛けるのが酷い。昔はこんな医者がいっぱいいたんでしょうか…。光や音などの刺激が良くないとわかっているのに、小児病棟の大部屋の隣に入れるのも配慮が足りないし。
原作者さんの体験した実話をモチーフにした作品らしく、どこまで真実なのかはわかりませんが見ている間は映画だと忘れるくらいリアルに感じました。父親が破傷風菌に心の中で語り掛けるくだりも、細菌性の病気にかかったことがあれば誰でも考えることなので実際にあんな感じだったんだろうなぁ。あと昌子に「もしこのまま死んでしまったら…。他に子供は作らず一生お前だけを愛してあげる。俺がしてやれるのはそれぐらいだから」と語りかけるところは涙が止まりませんでした。 ただ、母親のことはどうなんでしょう…。映画的には許容できる範囲でしたが、実際にああだったとは思いたくありません。誰も彼女に本当のことを伝えなかったのもなぁ…。
また、当時5歳の子役・若命真裕子さんの演技や、両親を演じた渡瀬恒彦さんと十朱幸代さんの演技が真に迫っていて、闘病の緊張感や出口の見えない閉塞感が伝わってきました。 その分「チョコパン食べたいよぉ」の緊張が解けていく感じがたまらないです。ジュースを買いに走って、転んだ拍子に涙があふれる父親の姿に、私ももらい泣きしてしまいました。 ホラー的演出ばかりが有名になっているけれど、誰にでも襲い掛かる可能性のある病魔というもの、それによって追い詰められる人間の無力さについても考えさせられる作品だったと思います。
読み:あめりかあめりか 原題:AMERICA, AMERICA 製作:アメリカ’63 170分 監督:エリア・カザン ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】19世紀末のオスマン帝国、圧政に苦しめられていたギリシャ人の青年スタヴロスは、親友のアルメニア人バルタンから聞いた自由の国アメリカに憧れていた。だがある日、バルタンが殺されスタヴロスはこの国を見限る。一族で国を脱出するという父イザークの計らいで、彼はコンスタンティノープルへ旅立ち…。
3時間近くある作品な上に、めちゃくちゃ辛い展開が続くけど引き込まれる作品でした。エリア・カザンの自伝をもとにした作品で、主人公は彼のおじさんであるスタヴロス。 彼の人生がもう波乱万丈というか、ついてないというか…。友人を政府に殺され、一族の希望を背負って旅立ったら悪党に全財産を騙し取られ、頼りにしていたいとこは小物で、必死に働いて稼いだお金を娼婦に盗まれ…。 何度も何度も絶望の淵に立たされ、それでもなおアメリカへ行けば変わるはずだと希望を胸に立ち上がるんですよね。それはもう、何をしてでも必ず行ってやるというギラギラした決意と共に。
見ていて痛々しくて、もうそこらで妥協してもいいじゃないと思うことがしばしばありました。金持ちのお嬢さんと出会った時はとくに。不器量な娘として紹介されたけど、ぜんぜん不器量じゃないし気立てがいいし、なおかつ彼を愛してくれる女性です。彼自身、彼女のことを好いていたのに…。
それもこれも自分を信頼してくれた父の期待に応えるため。序盤で描かれるこの父親がとても素晴らしい人で、母親は頼りない息子に嫌味を言ったりするんですが、父親は息子をきちんと一人の人間として扱うんですよ。叱らなきゃいけない時は叱るし、でも人前で叱らずわざわざ部屋を出て叱る配慮。一族の命運をかけた大きな仕事を任せて、母親が心配で仕方ないと言えば「息子が失敗するようなら、そう育てた私たちは滅びる運命だったのだ」と諫めます。 旅先から送られてくる手紙に一喜一憂する様子から、息子なら必ずやり遂げると信じているのが伝わってきました。
他に印象に残ったのは、彼の同志とも言える青年ホハネスとの友情です。ボロボロの姿で旅をする彼と出会い、徒歩で金もなくアメリカを目指すと笑顔で言うホハネスに、スタヴロスは自分を重ねます。彼の姿に希望を持つんですよね。自分の靴をあげて旅の成功を祈るシーンが印象的。 金持ちの娘と出会って旅の資金を得た時にも、再会した彼のこともなんとかしてアメリカに行けるよう協力していて、色々自分勝手なところもあるけど憎めません。 だからこそ、ホハネスもああいう決意をしてしまったんでしょうね…。
全てを賭けて、それでもダメだったと狂ったように踊り続けるスタヴロスと、それを嗤う裕福な人たち。そして彼の叫びに気付いて周りを止めようとする女性に、悲痛な決意を固めるホハネス…。 無事アメリカに入国して心から嬉しそうにしている彼の心には、ホハネスの想いに報いるための覚悟があったと信じたいです。何十年もかけて親族をアメリカに呼び寄せたた事実からも、彼の決意の強さがうかがえます。
タイトルは、口を開けばアメリカへの憧れを語る主人公のことを、雇い主たちが「アメリカ アメリカ」と呼んでいたことから。 赤狩りで”密告者”となったエリア・カザンが、どういう思いでこの作品を撮ったのか、考えながらの鑑賞となりました。
関連記事 「革命児サパタ」観た 読み:ちっぷすせんせいさようなら 原題:GOODBYE, MR. CHIPS 製作:アメリカ’39 115分 監督:サム・ウッド 原作:ジェームズ・ヒルトン ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】1870~1930年代。イギリスのとあるパブリックスクールで教鞭をとるチッピングは、生真面目な性格から生徒への接し方に悩んでいた。だが中年の頃、旅行先で出会い電撃結婚したキャサリンのサポートによって、彼は才能を開花し、優しくユーモアのある先生として生徒たちの人気と信頼を集めていく。
感涙祭第一弾。序盤が退屈だったけど、山で奥さんになる人と運命的な出会いを果たしてからが面白かったです。1969年の作品も観たことがあったのに、ぜんぜん見覚えのない展開。 「美しく青きドナウ」なのに青くない→「ドナウ川が青く見えるのは恋をしている人だけ」のくだりがロマンチックですね。ちょうどラジオで、当時「美しく青きドナウ」には歌詞がついていて、この曲のタイトルも歌詞も社会風刺の意味が込められていたと聞いたばかりだったんですが、このロマンティックな解釈の方がいいかも。
ダンスなんて踊れないと言っていたシャイな彼が、最後だからと勇気を振り絞ってから別人のように変わっていくところも良かったです。幸せそうで自信に満ちていて、元々イケメンだから陰気な雰囲気から一気に主人公らしくなっていきます。 その後のプロポーズも楽しい。「もちろん!」といい返事を貰えたのに、列車は行ってしまって住所も知らないからもう会えないと嘆くところとか(笑)
彼の自信を引き出し、教師が天職だと気付かせる奥さんはまさに妻の鑑でした。 子供たちとの距離が縮まって、誰からも愛される学校の象徴的存在になっていく展開も、こんなことがどこかであったかもしれないと信じたくなるような温かさで、その分、大切なものを失った時の悲しみが大きい…。でも、そんな彼を救ったのも彼女の言葉であり、学校の子供たちなんですよね。 最後の「私には何千人もの子供たちがいる」という言葉に涙が溢れました。
にしても、このチップス先生を演じた俳優さんが、若かりし頃からおじいちゃんになるまで一人で演じていたとは驚きです。画質が良くないから目立たないのもあるだろうけど、本当におじいちゃんそのもので全く気づきませんでした。
関連記事 「チップス先生さようなら(1969)」観ました(同原作) 「誰がために鐘は鳴る」観ました(同監督) 原題:一個都不能少 製作:中国’99 106分 監督:チャン・イーモウ ジャンル:ドラマ
【あらすじ】中国の田舎の学校で、カオ先生が私用で1ヵ月間学校を離れることに。なんとか見つけた代行は、まだ13歳の少女ウェイだった。生徒が一人も辞めなければ賞金を貰えると聞き、彼女は必死に28人の生徒を見張るが、少年チャンが家庭の事情で町へ出稼ぎに行ってしまい…。
中国の都市部と田舎の落差や、貧しいなか必死に生きる人たちのふてぶてしさが伝わってくる作品でした。前半は主人公ウェイの”自分の利益しか頭になく、代行教師としての責任感も能力もないのに偉そう”な様子なのが、鼻につくというかイラつくレベルなんですが、50元のために都会で必死に一人の生徒を探すあたりから印象が変わってきます。
ただ報奨金のためにやってきたはずが、少年が迎えに来た親戚とはぐれて行方不明になっているとわかり、だんだんとお金のことが頭から消えていくのが見ていて伝わってくるんですよね。なけなしのお金で尋ね人のビラを作り、それが役に立たないと言われて諦めるかと思いきや、じゃあどうすればいいと他の方法を尋ねます。ある意味すごく素直な子で、見知らぬ他人に教えてもらった通りにテレビ局を探し、局長に会えるまで空腹に耐えて待ち続けるんですよ。
彼女の心情がハッキリ描かれるわけではないものの、自分が今感じている空腹や疲労、世間の冷たさなどを、自分よりも幼い少年も感じているかもしれない、もしかしたら何か事件に巻き込まれているのかもしれないと、局長を待ち続けている間に色々想像してしまったと思います。 それを乗り越えての涙…、「心配でたまらない」という言葉を受けての少年の様子にも思わずホロリ。
それからは大団円という感じで出来すぎ感はありましたが、冒険を終えて成長した少年少女が、たくさんのカラフルなチョークで生徒たちと一文字ずつ黒板に試し書きするくだりは心温まります。 実話風に終わるのもあって、前半のイラつきはすっかり消えて爽やかな気持ちになれました。 ちなみに、イラストは少年を迎えに街まで歩いていくところ。この時点ではまだ「あのクソガキ、見つけたら引っぱたいてやる!」くらいは思ってそう(笑)
読み:ものすごくうるさくてありえないほどちかい 原題:EXTREMELY LOUD & INCREDIBLY CLOSE 製作:アメリカ’2011 129分 監督:スティーヴン・ダルドリー 原作:ジョナサン・サフラン・フォア ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】9.11アメリカ同時多発テロで最愛の父を失った少年、オスカーは、父の遺品の中から一本の鍵を見つける。それが入っていた封筒には“ブラック”の文字があり、オスカーはそれが父からのメッセージだと確信。NY中のブラック氏をしらみつぶしに訪ねはじめ…。
久々に心臓に負荷のかかる作品でした…(と言っても観たのは2週間くらい前ですが)。感動しつつも、9.11の日の言葉にならないような衝撃に胸が苦しくなります。とくにあの6番目のメッセージが…。私でもああなりそうだし(電話恐怖症なので)、もしあんなことになったらもう何も考えないように目を閉じて耳をふさいで口も閉ざしてしまうかも。 オスカーが「パパとの8分間を永遠に伸ばせるかもしれない」とパパの鍵に合う鍵穴を探す冒険の旅は、繊細で痛くて温かかったです。 向いのマンションに住んでいる祖母と夜中にトランシーバーで連絡し合ったり、472人のブラックさんとの出会いを大切にし、母親に八つ当たりし、祖母の家の間借り人にぜんぶ秘密をぶちまけようとするところも、寂しさや苦しさが彼の心の中でせめぎ合っているんだろうなというのが伝わってきました。 普段は字幕版の方が好きなんですが、この作品は彼が感情のままに早口でまくし立てるシーンがあるので、吹き替え版のオンエアで良かったです。
終盤明かされる真実は感動的で、苦しみを乗り越えようとあがいていたのが自分だけではないとわかり、お互いにこれまでのことや、出会った人たちのことを語り合う姿がよかった。 タイトルの「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の意味は曖昧で、たぶん見る人によって色んな解釈があるんだろうけど、わたしには、うるさかったのは自分のなかで響く恐怖や自責の声で、ありえないほど近いのは同じように苦しんでいる人々に目を向けたことで、哀しみそのものは消えないけれど、その声がいつしか遠くになっていったという”解決法も自分の中にあった”ということだと思いました。
原作ではオスカーは空想の中で数々の発明をしていて、そのなかにタイトルの言葉が二つとも含まれたエピソードが登場するそうです。要約すると、渡り鳥がツインタワーの窓にぶつかって死ぬのを防ぐため、ありえないほど近くなった鳥を感知し、別のビルからものすごくうるさい鳴き声を出して鳥を引き付ける装置を発明したというもの。鳥はピンボールのようにツインタワーの間を行き来し、ニューヨークから離れていかなくなることに対し、オスカーは「それはいいね」と言っています。 ツインタワーは死や恐怖の象徴で、そこに突っ込んでいく鳥は父親と、死を意識するオスカー自身を表しているのかも?と思ったりしたものの、タイトルはニュアンスが伝わればいいや、くらいの気持ちでつけたんじゃなかろうかという結論に至りました。私の中で。 父親がオスカーに見つけてほしかった「第6区」も、きっとオスカーが自分の殻を破って、周りの人たちが自分と同じように悩み、息苦しさを感じているんだと共感できるようになった時に見える世界のことなんだろうなぁ。本当に素晴らしいお父さんです。
あと、オスカーがつくった調査探検ノート「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」に描かれている、ビルへ跳び上がるパパの仕掛け絵が印象的。 ラストでは苦手を一つ克服し、父親の死も乗り越えて生きていこうという意志が伝わってきます。 また、戻ってきた夫に声をかけることなく、立ち去る途中で自分の荷物をひとつ廊下に置いていくお祖母ちゃんも素敵です。彼女もドレスデンの出来事から、ずっと引きずっているものがあっただろうなと想像させられました。
関連記事 「トラッシュ! -この街が輝く日まで-」観た 「リトル・ダンサー」観ました 「僕の大事なコレクション」観ました(同原作者) 製作:中国’2010 98分 監督:シュエ・シャオルー ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】中国、チンタオ。妻に先立たれ、自閉症の息子ターフーを男手ひとつで育ててきたシンチョン。だが、自分が癌で余命わずかだと判明し、ターフーがひとりで生きていけるよう生活の術を一つずつ教え始める。そんな中、ターフーは水族館に巡業に来たサーカス団の女ピエロ、リンリンと仲良くなり…。
BGMが久石譲さん作曲だということで、音楽映画祭の1本目はこちらにしました。「菊次郎の夏 」と比べると印象に残らないものの、ターフーが泳いでいるシーンなど美しいシーンで使われていてマッチしています。かといって音楽に頼ってる感じはなく、静けさもあって私好みでした。
自閉症の息子と難病の父親なんてお涙頂戴ものかと思いきや、そこら辺は淡々と描いていて、じわっと泣かせるのは純粋に親子間の愛情というのも良かったです。 ターフーを施設に預けて一人になった父親が、ターフーがやっていた行動を真似しているシーンが中盤にあり、終盤で今度はターフーが父親の行動を真似するのには泣かされました。知らないうちに親子で同じことをして、いない相手の存在を感じる姿に涙が…。 父さんは亀なんだと、これから一人で生きていくターフーの心のよりどころになろうと頑張る姿もホロリと来ます。 それに伝えたかったことがしっかり伝わっていて、自閉症で感情を表現するのが苦手でも、きちんとふたりの時間が生きてるのがわかるんですよね。
監督は自閉症施設で長年ボランティア活動をしていたらしく、私は知らないけれど実際こんな感じなんだろうなぁと思わされるリアリティがあります。 ターフーを演じていた方の演技もよかったし、アクションスターのジェット・リーが本当に良い父親を好演してました。ターフーと心を通わせるピエロの女性もキレイで繊細だし、シンチョンと深いところで繋がっているご近所さんの女性も好感。 全体的に静かで、ときどきふわっと明るくなるようなユーモアもあって、とても見やすく透明感ある作品でした。
読み:ぼびーふぃっしゃーをさがして 原題:SEARCHING FOR BOBBY FISCHER 製作:アメリカ’93 110分 監督:スティーヴン・ザイリアン 原作:フレッド・ウェイツキン ジャンル:★ドラマ
【あらすじ】7歳のジョシュ・ウェイツキンは、心の優しい野球好きな少年だった。ある日、公園で男たちが競うストリート・チェスを見て、チェスの楽しさを知る。ジョシュの並外れた才能に気づいた父親のフレッドは、かつてチェスの名手として世に知られたブルース・パンドルフィーニにコーチを依頼し…。
たぶんまだ映画の記録をとってなかった頃にチラッと見た気がします。スピード感あるゲームの描写が良かった。映画にチェスが登場することは多いけど、チェスの世界を描いた作品はあんまりないかも? 子供の撮り方が上手かったですね~。ジョシュは野球や車、おもちゃやゲーム、友達や家族が大好きで、チェスの才能に気付いた後も子供らしく他のことに興味を持ち続けています。 父親相手にチェスをしている時、父親が考えている間は別の部屋で遊んで、順番が来たらぴゅーっと駆けていって一瞬で次の駒を置き、そしてぴゅーっと去って行く描写からもう、「あ~、子供らしい子供だ!」と引き込まれました。仕草などが自然だし、チェスがすごく楽しくなってきた頃には、妹にやり方を教えてあげるお兄ちゃんっぷりが微笑ましい。 他の子はチェス大会で登場するくらいですが、その子たちもごくごく普通の子供たちなんですよね。会場ではバタバタ遊びまわっているし、親の方が熱くなりすぎて会場から追い出され、うるさい親がいなくなったと喜んだり。 ジョシュの心情もすごく伝わってきて、子供たちの繊細な描写だけでも見ごたえありました。
そして、息子の栄光を自分の栄光のように勘違いしてしまう父親や先生も丁寧に描かれていて人間味を感じます。どちらも悪い人ではないし、そうなってしまうのもすごくよくわかるんですよ。一気に夢が広がって、相手のためと言いつつ周りが見えなくなっていってしまう…。 でも、間違いに気づいてからの潔さはホントカッコ良かったです。ああやってジョシュのやり方に合わせられたのは、やはり息子を愛して信頼しているからでしょうね。こういう間違えを認めて反省する親の描写に弱いです(笑) チェスから離れて一日中釣りをしたんだよと、ジョシュが友達に自慢するくだりがとても幸せそうで、見ていてほっこりしました。 出番自体は少ないお母さんの存在もすごく大きくて、ジョシュの芯の強さは彼女譲りだと思うし、ジョシュを守る時は先生相手でもピシャリというところがカッコよかったです。原作はジョシュの父親が書いた本らしいので、彼の奥さんへの尊敬の念が表れているのかも?
しかし、タイトルにもあるチェス界の伝説、ボビー・フィッシャーもすごいですね~。最後かっさらっていきましたよ。こんな伝説の人がいるのに、ジョシュの方を取り上げたというのがいい(良い原作がなかったのかもしれないけど)。ボビーの話も映画化したら観たいけどね!…と思ったら、割と最近のがあるじゃないですか。エドワード・ズウィック監督の「完全なるチェックメイト」、これは観なければ!
原題:BIRDY 製作:アメリカ’84 120分 監督:アラン・パーカー 原作:ウィリアム・ワートン ジャンル:★ドラマ/戦争/青春
【あらすじ】ベトナム戦争のショックで精神病院に入れられた青年バーディと、同じくベトナム負傷兵となったことで呼び寄せられた親友のアル。心を閉ざし、声をかけても何も反応しないバーディを立ち直らせるため、アルはふたりが楽しく過ごしていた頃のことを話して聞かせるが…。
とても幻想的で美しい反戦・青春映画でした。 ニコラス・ケイジ演じるおっぱい大好きな普通の青年アルと、マシュー・モディーン演じる鳥になりたい青年バーディの友情に心洗われます。 精神病院を舞台にしているのに、心を閉ざしたバーディに聞かせる想い出が楽しくてキラキラしているから、あまり重たく感じなかったのもよかったです。 むしろ、現実のアルの悲痛な想いや戦争への憤りが、一際ふたりの想い出を輝かせています。
まずは、伝書鳩にするため鳩を捕まえるエピソード。バーディ作の鳩スーツが二人分あると聞いて微妙な表情を浮かべるアルや、屋根から落ちるシーンがアクション映画みたいに何度も繰り返すのにはクスリと笑わせられました。 鳥になりたがっている彼のことだから、飛ぶのを楽しんでいたかも。(背中痛がってたけどね)
お次は、廃車を修理するエピソード。アルの父親が勝手に完成した車を売却してしまい、バーディはアルが止めるのも聞かずに父親に詰め寄ります。 幼い頃から”父親には敵わない”と思い知らされていた様子のアルも、この出来事で父親はもう力で自分を支配することはできないと気付けたんじゃないでしょうか。 車がダメになったら「今度は人力飛行機を!」という切り替えの早さも、ふたり一緒なら何をやっても楽しいという風で好きです。
といっても、そこに女の子が加わってくると、あんまり楽しそうじゃなかったりするんですけどね(汗) アルは女の子がいるとそっち優先になってしまうし、バーディは女の子にまったく興味がありません。おっぱいを目の前にしても「ふ~ん、それで?」という感じ。親に言われて一緒にプラムに行った女の子なんて可哀想になるくらいでした。
でも、普通を求められ、自分の一番好きなものを認めてもらえないことが、余計に彼を現実から遠ざけたようにも。 唯一の理解者だったアルも戦争が始まってから変わってしまい、彼自身も戦争体験が決定打に…。爆音に逃げ惑う鳥の姿を見て、死体の中で悲鳴を上げるバーディの姿が悲痛です。 周囲の声に何も反応を見せず、中空を見つめ一言もしゃべらなくなってしまった彼が、演技をしているわけではないと納得できました。
そんな彼に、必死に語り掛けるアルの姿には涙が…。 もう時間がないと苛立つ彼が、途中で入ってきた看護師に「なんで入ってきた!」と詰め寄り、「仕事の一部だから」と言われて『俺にとっては人生の一部だ!』 と怒鳴ってしまうシーンが切ない…。 そしてあのラストですよ。いつの間にか口元が緩んでました。 アルと一緒なら、バーディは自然体でいられるんですよね!
関連記事 「ミシシッピー・バーニング」観ました 読み:れみぜらぶる 原題:LES MISERABLES 製作:アメリカ・デンマーク’2012 133分 監督:ビレ・アウグスト 原作:ヴィクトル・ユーゴー ジャンル:★ドラマ/文芸
【あらすじ】1812年、19年の刑期を終えて仮出獄したジャン・バルジャンは、銀食器を盗んだ自分をかばってくれた司教との出会いから、改心を決意。9年後、ヴィゴーの工場主兼市長として、市民の尊敬を集める男に生まれ変わるが、新任の警察署長ジャベールに正体を見破られ…。
再見。リーアム・ニーソンもユア・サーマンも、今まで観た中で一番良かった気がします。原作は読んだことはありませんが、映画として良くまとまっていて引きこまれました。(ラストの余韻がもう少しほしいけど)。 とくに、ジャベールさんがどうしてあそこまでジャン・バルジャンに執着したか、再見によって自分の中で納得できたのがよかったです。 父親は盗人で、母親は淫売だったというセリフ。彼はきっと両親を憎んで、自分の力では二人を変えることは出来なかったんでしょうね。なので人の素養は生まれた時に決まって一生変わることはないという説に飛びついて、そして悪人を徹底的に取り締まるという方法で過去を乗り越えようとした。 そんな時、自分や法の手から逃れようとするジャン・バルジャンに出会い、両親への憎しみを彼に重ねてしまったんでしょう。
最後の彼の決断は、ジャン・バルジャンとの出会いから”人は変れない”という信条に揺らぎが生じ、何が正しいかわからなくなった。けれど、法に背くことはできない…。その板ばさみによるものだと納得できました。 ただ、そのまま終わるのはなぁ。時間が足りないのはわかるけど、ロングショットで家族と再会する後姿とかほしかったです。 恋に恋するコゼットと英雄思考の彼氏が、あの先ふたりでやっていけると思えないから、ちゃんと再会するのがわかる方が安心できるので(笑)
関連記事 「レ・ミゼラブル~輝く光の中で~」観ました 読み:あふゅーぐっどめん 原題:A FEW GOOD MEN 製作:アメリカ’92 137分 監督:ロブ・ライナー 原作:アーロン・ソーキン ジャンル:ドラマ/ミステリー
【あらすじ】キューバ米海軍基地で、海兵隊員サンティアゴが殺される。同部隊のドーソン兵長とダウニー一等兵が殺人罪で起訴され、その弁護に法廷経験のないキャフィ中尉らがついた。やがて、彼らは暗黙の制裁“コードR”の存在を知る。
海兵隊が綺麗に揃って銃をくるくるやってるOPからして、軍の厳しさなどが伝わってきますね。厳しくしごかれたんだろうなぁと「フルメタル・ジャケット 」を思い出したり。 しかも司令官はジャック・ニコルソンですよ!?怖くないわけがない! 同期のマーキンソン中佐に「部下の前で歯向かうな」と言い渡すシーンの迫力や、終盤のキレっぷりといったら!
そんな海兵隊基地で起こった殺人事件に、野球に夢中な若き中尉キャフィが挑みます。 弁護人となって、ドーソンの完璧な海軍への忠誠心とぶつかり合うところが良かった。弁護人なのに、被告とのぶつかり合いが一番面白いという。 それもキャフィの成長があってこそで、その成長を助けた弁護団の仲間サム(眼差しが優しいパパさん)と、美人法務官のギャロウェイ少佐(主人公の尻を叩く役 笑)との仕事っぷりもいい。変にベタベタしてなくて、裁判を終えて、さ~っと解散するところとか。恋愛もほのめかす程度で、最後まで同じ戦場で戦った仲間みたいな。 それは法廷で争った相手でもある検察官ジャック・ロス大尉も同じで、裁判の間は敵でも、終われば同じく”国のために自分の役目を果たした同志”という感じでした。
あと、妙に気になったのが、ドーソンをハルと呼ぶダウニー一等兵。妙に子供っぽい(女の子っぽい?)雰囲気。 「また元通りに海兵隊に戻れるよね?」とギャロウェイ少佐に尋ねるところや、判決を言い渡されて「どういう意味?」とポカーンとしてる様子なんて何も知らない子供みたい。ドーソンがいなければ軍でやっていけなさそうな雰囲気があって、もしや彼女?とか思ってしまいました(汗) そして、軍の規律に染まりきっていたドーソンも、裁判を経てキャフィと同じように成長したところが一番の見どころ。ラストの敬礼がグッときます。 トム・クルーズの半開きの口と、デミ・ムーアの歩き方、最後の作戦が微妙でで引っかかったものの、概ね楽しめる法廷モノでした。
映画の中で、海兵隊の若者が国旗を立てる銅像みたいなのが何度も映るんですが、この作品の中で描かれている海兵隊員はみんな、アメリカのために必死に戦っていると言いたいのかな。それともタイトルにかかってる? ちなみにタイトルの意味は「少数の精鋭」で、海兵隊の徴兵ポスターのキャッチコピー「THE MARINES ARE LOOKING FOR A FEW GOOD MEN(海兵隊は少数の精鋭たちを求めている)」から来ているみたいです。 また、この作品の原作戯曲は実話を基にしているそうで、実際は被害者は亡くならず、被告は有罪で服役後名誉除隊したんだとか。しかし、この映画のことを知った被告の一人デヴィッド・コックスは映画会社を訴え、ラジオで事件のことのみならず基地での活動なども暴露。1994年に銃殺された状態で発見されたそうです…。現実はフィクションより怖い!
関連記事 「プリンセス・ブライド・ストーリー」観ました 「最高の人生のはじめ方」観た 「モリーズ・ゲーム」観た(アーロン・ソーキン監督) 読み:へるぷこころがつなぐすとーりー 原題:THE HELP 製作:アメリカ’2011 監督:テイト・テイラー 原作:キャスリン・ストケット ジャンル:ドラマ
【あらすじ】1960年代のアメリカ南部、ミシシッピ州ジャクソン。作家志望のスキーターは大学卒業後、なんとか地元新聞社でコラム代筆の仕事にありつく。その後、ヒリーをはじめとする高校時代の親友たちに招かれるが、彼らが黒人メイド(ヘルプ)を当然のように差別しているのを見て…。
この時代の人種差別を扱った作品は、惨たらしくて後に引く作品が多いけど、こちらはコミカルに軽くかわしながらジャブを繰り出していく感じでしょうか。 まあ、後半にスキーターとメイドたちがやったことは「そんな上手くいくわけねーだろ(完璧に上手くいったわけじゃないけど)」としか思えませんでしたが、重苦しくてインパクトがあればいいというわけでもないですし、入りやすく考えさせるこの作品は映画としてよくできていると思えました。
とくに、黒人が病原菌をもってると考える白人たちが、平気で黒人の作った料理を食べ、子供を任せるバカらしさは、差別の根底にあるのが”感情”だけなのだと伝わってきます。 同時に、ヒリーの元彼と結婚した、お色気たっぷりだけど善良な(おそらく出身が南部外の)シーリアに対しても仲間外れにしている様子が描かれるのも上手い。 誰かを自分より下の存在として押さえつけておけるなら、理由なんてなんでもいいんですよね。
ただ、ヒリーは最後まで変わったりしないものの、終盤に(真の主役である)エイビリーンに『嘘と脅しばかり…なんて罪深い人。疲れませんか、ヒリー様。疲れません?』 と面と向かって言われたシーンで、自分の弱さゆえの歪みを自覚はしてるんですよね。涙を流すほど痛いところを突かれて、それでも生き方を変えられない(そもそも、この地域では女性の生き方さえ決めつけられていて、彼女自身、抑圧されているひとり)。 何気に彼女の存在が一番考えさせる役どころで、女優さんの演技もあって光ってました(「ヒア アフター 」では料理教室で出会う女性メラニーを演じていたブライス・ダラス・ハワードさん)。
これは私の想像でしかないけど、黒人の中にはミニーの暴力亭主みたいなのもいるわけで、もしかしたらヒリーは、小さい頃に母親が気付かないところで怖い目にあったのかもしれません。それが睨まれた程度の些細な出来事でも、何かあればまっ先に黒人が疑われて凶悪犯に仕立てあげられる時代ですから、さまざまな理由で黒人に対する恐怖心を膨らませていた(しかも自覚してない)人は多いのかも…と思いました。
全体的に創作部分であるスターキーのエピソードはどうも嘘くさく感じてしまったけど、実話部分であるメイドさんたちの細かなエピソードは面白かったり感動したりと見応えあります。 とくに、エイビリーンと幼いお嬢さんとのやりとり(お嬢さんはやさしい子、~賢い子、~大切な子)や、ミニーとシーリアの友情は心に残りました。 チョコパイはやりすぎだけどね(笑)
ちなみにタイトルのヘルプの意味は、黒人メイドが”ヘルプ”と呼ばれていたことと、彼女たちが心の中で「ヘルプ!」と助けを求めているのをかけてるんでしょうね。
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